デジタルという世界の中の虚構

水瓶座のデジタルという世界の中の虚構

木星と土星が水瓶座で合をむかえ、今後は、木星が土星を追い抜いていきます。

グレートコンジャンクションが22日の「牡羊座」という始まりを意味する星座で「上弦の月」と重なっていくのも、なんだか少し感慨深いでしょう。

この配置をきっかけにして、それぞれの今の経路に、一つのロック=鍵がかかったと思うといいでしょう。

ここまでで選択してきたことが複数あるはずです。その中の、どれが育っていくかは、まだ分かりません。

冥王星が水瓶座へ移動した際には、ご自身の運命というものに2度目のロック=鍵がかかるでしょう。

今までの時の経過とは異なり、そこからは、徐々にトランスサタ二アンの3天体が手を組んで

みなさんの運命をサタ二アンの思惑どおりに運んでいきます。

 

2020年は、久しぶりにあった金星逆行、そして火星逆行が、各々の転換にぎりぎりに間に合う現実的で印象的な一つのキーだった人たちも多いはず。

それらが、各自の進行(プログレス)の流れにも従いながら「間際のぎりぎりで授かった機会」というものもあるでしょう。

あの時に飛び込んで良かった(特に今回は金星逆行と火星逆行)と実感するくらい、能力とかスキルなどが、たった数か月なのに

以前とはだいぶ変わっていると自分自身で実感することも多いと思います。

知識などがしっかりついていくと、ネットの中の情報だとか、表面的でおおげさな表現や誇示したものに左右されなくなるでしょう。

天体やアスペクトが実際に作用しているというのも以前よりも根拠をもって実感できる人達も多かったのではないでしょうか。

 

水瓶座というのは不動星座なので、いったん固定作用がでると、そこから出たくなくなる、動きたくなくなるという働きがでてきます。

もちろん、ここに火星や土星のアスペクトが関わる時ならば、なおさらであるでしょう。

不動の性質ももちろん大事ではありますが、この「出たくない」「動きたくない」という象意というのも

自分で自覚をしていかないと、それらの影響力が精神や肉体に及ぶので、自分で動きを意識をしていかないと、少しやっかいな部分も多々でてくるのではないかなとも思います。

活動星座の山羊座とは、かなり意識が異なるというのを実感します。

 

しかしながら、冥王星はまだ山羊座。

グレートコンジャンクションに注目しすぎて、その時、何か起こるのではないか?という他人が言った予言や言葉を、今までどれだけ耳にしてきたことでしょうか。

日食や月の流れを追っていくことが、まず基本ではないでしょうか。

木星と冥王星の合のほうが、実際の現象としては大きいことを言ってきましたが、「グレートコンジャンクション」という言葉にはかなわず、一蹴されていくことも多かったです。

実際に、そうやって言葉が先に優先されてしまっているものは多くあるでしょう。

「冥王星はまだ山羊座である」ということを根本でとらえているのは、トランスサタ二アンという天体を本当に理解している人達だけではないでしょうか。

そうじゃない人達が、「時代が風に変わります!」「グレートコンジャンクションです!」と大袈裟に表現していくのかもしれません。

実際に、占星術の基本でもある2重円や3重円の知識をもっていないのに、新月や満月読みや、他者の有料鑑定をしている人達も多いと思います。

 

社会天体である土星と木星は、まず「水瓶座」の基盤を形成していきます。

けれど、根本の意識は、まだ「山羊座である」ため、世の意識としては山羊座意識の方たちのほうが実際にはまだ圧倒的に根深く、まだまだ根強いでしょう。

風の時代になりますよ!と本人がいいつつも、「稼ごう!」と実利の主張や意識の人達もまだまだたくさんいますし、そこに群がっていく人達も、まだ大勢いるでしょう。

水瓶座の充実感というのは、いうまでもなく「実利」ではありません。

華々しい経歴をひたすら美しく響くように見せている場合は「山羊座」と「天秤座」の混合かもしれません。経歴の何かを主張したいのでしょう。
(でも、よく見てね。いいとこどりだけして全部の経歴が書いていないことが多い)

これまでの射手座→山羊座という一つの経過を経てきたことによって、そういった人に美しくみてもらえるように受け手側を言葉で心理コントロールしようと

わざと作られた言葉にも、だんだんと、たいして響かなくなってきたというのも実感としてあります。

それらは、もちろんインターネットの知識を経過の中で学んできたことと、「人」の中身を重視してきた経過があるからでもありますが

それでも一種のネットのマーケティング理論というものに多くの人達がそのコントロールに流されているというのも事実だと思います。

たとえば、LPという広告ページや時間制限を用いたもの、被リンクの取得というものは初心者でも簡単に分かります。

それらが目に余る形で、すぐに分かるようになってきた人たちは、以前とは「選ぶもの」と「考え方」がだいぶ変わってきた選択も多いのではないでしょうか。

以前は選んでいたけれど、今では「なぜ、あんなくだらないものに多くの時間を費やしてきたのか」と、そんな失望したり興ざめしていく感覚を実感する場合も、もしかしたらあるかもしれません。

「現実が真実である」と目が覚めた人たちは、自分自身をまずよく知って、他人の言葉やアドバイスよりも、自分の海王星とこれまで起きてきた出来事パターンを考え

自分の望む考えや、したい行動に合致するものを、もう選んでいるはずですが、「妄想アスペクト」が強い場合は、現実の現在と妄想を混同しているかもしれません。

 

たとえばですが、過去の経歴や私はこういうことをしました!という過去の行動を、延々と華々しく豪語し、美しく表記がしてあり、誰がみても「それは素晴らしいですね!」と言いたくなるくらいの社会貢献活動の言葉がずらりと並んだ表記をみても

言葉として全く響かないというのも少し不思議だなと思うところです。水瓶座という象意には「社会貢献の活動」は含まれているのにです。

過去に行った羅列よりも、それらを現在、当たり前のこととして取り組んでいることのほうが当然に思えるようになっているのと、実際に行っている人達というのは、それほどがつがつとアピールしていないというのも人間性がでるものではないでしょうか。

誰がみても素晴らしい文章で、非がなく美しい。そして、華々しい実行力。人を感動させるために必ず必要な人生の転落劇の誇張。

でも、それらは「過去」です。

他者の言葉を鵜呑みにする人って多いものですが、その場合、よく文を読んでほしいですね。

一見は、人生の転落劇に見えても、よく見ると、その人のだたの意思の弱さとか、貫いておらず中途半端な結果の生み出しが多いとか

事実をみていくと単純なものが多く、もっと冷静になれるものだと思います。(以前、日本を逃亡した人も過去の華麗さを豪語に主張していた。)

華美な自己表現こそ信頼に欠けるというのは、リサーチしていくと、そうではなかったという事実が判明するからではないでしょうか。

しかし、言葉というのは不思議であって、多くの人たちは、いいね!というものが自分自身には響かなくて

多くの人たちがよく分からないというものが自分には響くということも多々あります。

私自身には無機質に見えても、他の人たちには活き活きとした言葉に見えたり、時には「私もそうなりたい!」と感じたり

過度な信頼も生まれることなどもあるでしょう。たとえそれが、その人自身(本人)が実際に書いた文章や言葉でなかったとしても。

 

そして、もしも、それを実際は、本人が他者に指示していたらどうでしょうか。

他者が紹介している風に記載をしているもののほうが、それとなく信頼や風格がよりでやすいものです。

たとえば、本の帯などは一例でわかりやすいでしょう。

今は、Wikipediaウィキペディアの情報も「自分自身を美しく受け取ってもらうための1つのページとして」意図して書かせたり、誇示していくツールの一つにも使われるようになっているので、記載の鵜呑みについては今まで以上に注意が必要だと思います。

使用している「語録」に変化がない(いつも同じ語録)というのも、発信手にとって常に「過去」を含めて誇示したいことだからかもしれません。

ネットの中の美しい言葉で過度な信頼をよせるよりも、「現実のその人」というものを、よりしっかり見る必要があるのではないでしょうか。

そして起こる出来事というのは、あくまでも1対1で考えたときの相性があります。

現実という真実を知っている人達は、過剰に、そして美しく表現された自己誇示に対し、ここに書いてあるほど

言動がそこまでたいそう立派じゃないということだとか、少し違和感を感じるような仕上がりに気がついていくこともあるでしょう。

 

色々なwikを読んでみてほしいですね。(実際は誰が書いているか表記されていないものを鵜呑みにして信用している社会の流れが恐ろしいのと

その流れを巧みに利用している指示者の考え方というものも考えてみるといいかもしれません)

 

「他人に書かせているな」とか「誰かに指示をして、うまく書かせているな」とか「本人の言葉じゃない」「キーワードの語彙がいつも一緒」というのが、すぐ分かる表現というのも

本人が思っている以上に、それが伝わっているというのも、これまた不思議に思う一つの「言葉の伝達」ではないでしょうか。

「個」というのは、コトバでも結構伝わる割合が高いということですね。

 

たとえば、自分の言葉は自分で書きたいと、他人に書かせることを嫌がる人もいれば

私を綺麗に上手に魅せてくれることができるのなら別になんとも思わない!だって自分では書けないのだもの、、、書く時間などとれないし、、、という価値観や考えの違いも

「言葉」という一つの考え方として差異がでてくるでしょうし、その価値観からの言動そのものが、かなり大きく分かれるでしょう。

 

ちょっとしたことなのですが、そのちょっとしたことが合わないと、生き方が苦しくなるというのも、もしかしたら今後はよりでてきやすくなるかもしれません。

それが、その人の魂レベルからのアイデンティティだと思うからです。

山羊座の世界では我慢は通用するけれど、水瓶座になったら我慢というのは、発生した時点であとはただの時間の問題にすぎません。

だから、「自分の心に嘘をつかないように徹底してね」とよく言っています。

 

星を活かすってどういうことですか?と質問されることがあるのですが

基本的に私は、こんなんでも「水星」を大事にしているので、自分の言葉は自分で書いているという人や敬う人とか、言っていることが理解できるものしか読まないですし

本人が自分で書いていない場合は、ほとんど再訪しないことや、まず信用をしていかないというくらい「水星」象意を大事にしています。

水星はとても大事だよと言ったとしても聞き流す人達は多く、喧嘩コミュニケーションを続けていては、それを辞めないという人もいますし

自分から投げかけた質問や問いでも、自分自身にとって気に食わない回答ならば、そのまま無視をしてしまえばいいという人達も本当に増えてきているとも感じます。

いつしか、日本では、喧嘩コミュニケーションすら正当化されるような時代になりましたが、それは、ただの自分勝手な解釈であり、本当に互いが気持ちよく伝達しあえるコミュニケーションなのかと疑問には思いますが

それを好み、選択する一貫性をもった周囲が引き合っているともとれるのではないでしょうか。
(それが嫌な人達はそもそも離れ分離しているはずです)

 

これからは、デジタルの中で、さらに虚構が増えてくる世界。

水星はダイレクトに、そして、種の育ちとして太陽につながります。

 

虚構の中では、自分自身を時に美しく見せて、美しく受け取ってもらえることもできるでしょうし、時に誇示して大きくも、時には自らの存在を隠しながら表現していくこともできるでしょう。

その虚構の世界の中で、自分自身に響くものと響かないものがある。虚構であってもです。

 

それらはどういう違いがあるのかと考えてみるのも、自分の太陽を探るきっかけにもなるかもしれません。

「あなたが響くもの」を常に純粋に選んでいくと、「自分自身がいつも選んでいるもの」とか「自分の好きなもの」「自分の嫌いなもの」には

一貫性があるということにも気がつくかもしれません。

「固定」という星座の使いかたは、自分自身の一貫性をぜひ選択し続けてほしいと思いますね。

やがて、その一貫性にしたがった種類の実がつくと思うからです。

 

今後は、自分の選択した種類に忠実にしたがった実が育っていくでしょう。

実が育ち、どんな種類の花が咲くかより、ついた実や咲いた花を見たとき、自分がどう思うかが大事だと思うのです。

だから、今ここの、一瞬の選択と自らの努力を、妥協せず、一つ一つ丁寧に、より大事にしていくといいでしょう。

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