占星術というと占いというカテゴリーに分類されます。そのため、当たる当たらないというところが焦点になりがちです。
当たる当たらないに何を期待しているのか(たぶん預言に価値を置いている?)、まずそこを疑問に思いますが
もしも、当たるか当たらないか知りたいのであれば、自分で読んでみたほうがその結論を導きだせると思います。
また、自分のことはよく分からないと言うのが一般論だとしたら、そういう言葉で自分をごまかし結論づけてしまうのはとても簡単なことではないでしょうか。
チャートによって自分の考え方から行動パターンまで客観視できるため
自分のことがよく分からないという人こそ、チャートをまず自分で調べてみるといいと思うのですが
人には興味関心のある分野と関心が薄い分野がありますから、誰にでもお薦めできるというものでもありません。
つまらない人にはとてもつまらないものになるのです。かつ、女性は論理があまり好きではない人が多いです。
知らないほうが良かったと思う場合もあれば、早く知りたかった、そう思う場合もあります。ここも人によりけりです。
自分のことを知るということは、見たくない部分も自分で見て認識していくことなので、本来はとても勇気がいることですね。
占星術は信用できますか?
答えから申し上げると、解釈どおりに当てはまらないことは多々あります。解釈どおりに当てはまることも多々あります。
古典の解釈はきつい言葉が並びますから、客観性のない場合だと、解釈を見て憤慨するかもしれません。
もし該当していたらと考えると私だったら占星術を全く無視するでしょうし信用しないかもしれないと思うこともあります。
ホロスコープは影響の強弱があるので、すべての人に当てはまるかと言われれば違うとなりますし、全く当てはまらないかと言うと、そうともなりません。
また、チャートのこの部分は当てはまるけど、ここは当てはまらないということも多々あります。
それらを自分で考えていけるのが「読解」になります。
私達は受け身的な教育をずっと受けてきましたので、多くは先生に全てを教えてもらうとか、教科書や書籍にそう書いてあるからこうだというところを当てにしてしまいますが
本来は、それらはあくまでも資料的な要素であって、教わったり学んだり、知った資料を用いて自分で考えてみる、自分で実践してみるというのが、学ぶということではないでしょうか。
学ぶことは、自分でテーマを設けて自分で進めていいのです。
占星術というのは非常にあいまいです。ハウス解釈であっても、ハウスシステムを変えてしまえば、話が変わってくることもありますし
出生時間が少しでもずれてくるのであれば、ハウス解釈が全部ひっくりかえります。
そういう中で何を信用するかは、解釈とか意味だけではなく、最終的にはホロスコープと現実が本当に一致しているのかどうかをまず考え
一致している部分を自分で採用していくのも一つです。
解釈が一致してこないものも現実的には多々ありますが、一致していないのか、現象化していないのか、それとも知識不足なのかは難しいところです。
一致してこないと思っていたことが、時を経て、何かしらの知識や現象が入ってきたときに、根拠が見つかってくるということもあるからです。
どんな勉強や学びごとも学びたての時というのは、学んだときに全てが分かるという風に期待をしていくものですが、アウトプットを通して徐々に分かってくるというのが実情です。
ホロスコープが信用できるか、できないかは、あくまでも本人がホロスコープをどう捉えているかしだいだと思いますし
むしろ細かいことを知れば知るほど「本当にそうか?」「これはいまいち当てはまってこない」と思う点は多くなります。
猜疑的な視点は常に必要です。
占星術は簡単ですか?
簡単ではなく、とても複雑です。簡単だという場合、それは基礎の段階のことを指しているのかもしれません。
応用項目になればなるほど、当てはまらない論や細かい知識事項はたくさんでてきます。
また、古典のほうが圧倒的に知識も言葉も難しいですから占星術を簡単だという場合は、複雑さをまだ理解していないとか
ビジネスのためにうまくごまかしているとか、細かい分析ができていないとか、知識不足、おおざっぱに読解しているというのを私は疑います。
基礎知識の段階のほうが、誰にでも分かりやすく圧倒的に理解をしやすいように作られていきますし、的を得ているように思えることは多いのです。
けれど、簡単にしていけばいくほど、大事なことは省かれていきやすくなります。オーブなどがいい例です。
省かれたほうが簡単で分かりやすいからです。けれど、実際はそんなに単純ではありません。
各チャートが絡みあっているというのが分かってくると「あっ、ここにも、こっちにも」という根拠があちこちに、しだいに見つかっていきます。
ネイタルチャート自体は静止している図にすぎないのですが、要素や他のチャートは動いているわけなので理解するまでは本当に大変です。
それはそれで見つかる楽しさもあるものですが、時に、見つけたくなかったわということも、もちろんあり得ます。
チャートの影響力が強い、弱いはどこで判断するか
チャートの影響の強弱はあります。人によりけりです。
チャート影響がはっきり出ていて強いという場合は、自分で自分の太陽を行っていたり、主体的に生きている場合のほうが影響が強いと言われています。
女性の場合は、太陽を夫に投影してしまうケースのほうが多いので、そうすると、夫に投影されていく点もでてきます。
それは良くも悪くもです。こういったケースも出来事を通して、何かを知らされていくと思うので
むしろ出来事ががつんと起きているほうが占星術はより理解しやすいかもしれません。
時に、出来事が皮肉的に出る場合がある
占星術にはまず猜疑的視点はかかせません。その解釈が合っている、正しいという風に安易にとらず
その表示が実際はどう出るか(陰陽どっちで出るか)分からないと捉えるといいと思います。
そのかわり、ホロスコープが分かってくると、他者に自分や自分の人生について聞く機会は減ると思います。
なぜ、それが起きているのか人に聞かなくても知識を用いて自分で理解していくことができるからです。
天体作用を理解するには、本や書籍を用いながら最終的には現象で把握することができます。
表向きの解釈だけで読解していくと、予想される出来事が良いようにとれたとしても
現象の中身を見ていくとそうではなかったという事実があとからでてくる場合もあります。
出来事が皮肉的に出てくるのです。
例えば、ドラゴンヘッドだけの単体解釈で考えたのなら、発展的な関係性が近づいていますよ!という解釈だとします。
それなのに最悪な出来事が起きてきた場合、相性図などで中身を細かくのぞいていくと、実はドラゴンテールだったという場合など、本人にとっては非常に皮肉的だとしか思えません。
こういう皮肉的な表示や出来事に遭遇すると、なおさら細かく見ていかないと分からないというのが占星術です。
見逃すことや省かれること、後から分かることのほうがむしろ多いのですが、人は自分の人生について、自分で調べてみるよりも他人に聞くのです。不思議ですね。
占星術は現象が起きてみないと結果は分からないですから、だから簡単とは言い難いですね。
そのかわり、それが分かってくると、そういうことかと納得する部分も出てくるわけなので
角度どおりでむしろ恐ろしいとすら思う時があります。
占星術は当たるのか?のまとめ
占星術が当たるか当たらないかは本人が占星術をどう捉えているかで、その価値が異なります。
また、人によりけり、チャート影響の強弱があります。
時々、空の月を見上げてみてください。
見上げた月が出来事のタイミングに本当に影響しているのか?まさかそんなことがあるわけない、そんな馬鹿な、と
実際に月相どおりの流れだとか月の一掃力のすさまじさを実体験してきたにも関わらず、月を見ては、未だに私は常に疑っているのですが
実際は月相や個人チャート、ソーラーリターンどおりだったりしてくると、あながち無視できないとなります。
人に言われるからというよりも、自分自身でそう思う場合は、人に聞くより自分で自分のチャートを読解していくといいと思いますね。
そのかわり、どんな分野でもそうであるように、歴史から積み重なってきた情報量は膨大であって
それを知るだけでもまず大変ですし、定着させていくことは時間がかかりさらに大変です。
学んだあとは実践環境(アウトプットの環境)や継続した勉強や自分の努力や工夫も必要なうえ
さらに90度によって本人の意図や望みとは異なる方向にいく可能性もあるので、なんとも言えません。
占星術は当たるか当たらないかを知りたい場合は、自分で何かしらの実践環境(アウトプット環境)を作る=知識を使わざるを得ない環境を自分で作り
自分で調べることを怠らず、自分で確認をし改めていくというのが主体的な学習であって、一番の学びになると思います。