土星と天王星:視点の違いで創造が変わる時間の中へ

土星と天王星:視点の違いで創造が変わる時間の中へ


月はてんびん座満月から次はやぎ座の下弦の月へ向かいます。

下弦図の太陽は11ハウスでおひつじ座25度です。

天と地の荒波を何度も見て知り
その真理が分かったのなら恐れよりも希望を選ぶ。

コロナに限らず人間はなんでも「対象」のせいにしたがりますが
長い期間「やぎ座の土星」という星座をとおりすぎてきた今は
自分自身の責任で生きるという学びをしてきたことが
今の現実の言葉としてぴったりのように思えます。

目の前に現れている現象というのは
常に自分自身が選択してきたことの順番の結果が
目の前に
分かりやすく様々な対象を通して
1日1日に現れてくるに
すぎないことだと思います。
現象として降ろしてみせてくるのは月だったりもします。

「選択」というのは非常に大事なのですが
楽観的に選択している人も大勢いるので
「選択」について考えてみるいい機会では
ないかとも思います。変わるときはまず順番として
この「選択」について考える時間を必ず通るからです。

もちろんその選択は自分の意思で選択した
もののように見えますが
そうでないことのほうが大半でしょう。

仕事が減ろうが、一緒にいる相手に嘆こうが
それはあなたの責任下で選んだことで
他者はその環境を選択していないのだから
だから状況はまったく異なる人も大勢いるということです。

こういった一見は負に見える社会情勢であろうが
仕事が大きく飛躍しフリーになっている人もいますし
むしろ忙しくなっている業界だってある。
一人一人の状況の違いは選択とアスペクトに基づくからです。

すべてがすべてニュースの伝えかたのような状況ではないし
マスメディアの在り方についても伝えかたの特徴に
疑問に思う人も以前よりも増えていると思います。

もしもなにかと外側の環境のせいにする場合は
その視点は今に限ったことではないのではないかなと。
視点が外側の物質に重きを置きやすい
そんなところも
「明らかになっている」のではないでしょうか。

星座のひとつひとつについて
ハウスのひとつひとつについて
とにかくもその順番の学びを丁寧につかんでいくと

今まで学んできた星座の象意が
本当にそのままどおりだと

かみしめることができるくらい
とても役立ち進む指針になるのではないでしょうか。

大きな社会現象が起きると
集団意識はその現象に振り回されていくというのも
よりはっきりし、それは価値観だとか考え方だとか
というよりも、あわせていく焦点が異なる
「みかた」なのだというのもはっきりしてくるのでは
ないでしょうか。

現実の輪郭をよりはっきりとくっきりとしたものを
見せる土星という天体もやはりすごいなと思います。

集団意識の怖さという新たな視点で俯瞰する
というところに以前よりも進んでいる人も
いるのではないでしょうか。

そう考えると様々な歴史のなかで
集団的に起きてきたこと
というのも
おそらく指示者のもと
従うことしかできない状況だった
ということが予測できます。

土星の視点ならば減りや不遇に目がゆきその社会に合わせようとするし

天王星の視点なら未来の方向の光しか見えない

天王星の視点だと
この先、働くことが心配だからとか
生きていけるか不安だからとか
まぁ、そんな視点などにはまずなりません。
天王星の視点の向かい先は常に未来の希望の先の光だからです。

それぞれの視点の違いを
誰かに強制していく必要もないのですが
こういうときにはこういう姿でいることがそれが常識なんだとか

こういうときにはこういうことを言っちゃいけないんだよとか
もしもそんな強制などがあるとしたら
それもまた「視点の違い」として
浮き彫りになるでしょう。

視点が同じということはあり得ないため
同じ方向の視点を向いているほうが
生きやすいというのはあるかと思います。

どんな人も受容していくことが
大切だということがもしかしたら
社会の正論や美しさ
かもしれませんが
人間美というのはそういうことでもない気がします。
個が際立つほうが本当は美しいことなのではないかなと。

視点が違うことって生きることが苦しくないでしょうか。
数時間などの短い時間なら新鮮でいいとは思いますが
けれどそれが長期的な時間になっていけば
関係性の継続は少し難しいだろうとわたしは思っています。

多くは価値観の違いだとか様々な表現を用いるけれど
「見る視点が違う」というのが来るべきタイミングに
決定的な分離に
つながる大きな要素になるのかもしれません。
視点が違えば考えることがまず違うからです。
だからその違いにもう嘘をつかないほうがいいのです。
違いに嘘をついてごまかしてももともと所有している
視点自体は変わらないからです。

生きにくい社会のなかで
生きにくい方向や視点を選ぶのではなく

生きにくい社会だから
生きやすい自分と視点を選ぶ。

それはわがままでもなんでもなく
魂からの本当の純粋な願いなのではないでしょうか。

わたしは星の象意として
願いを書こうということは言わないのですが

それはなぜかというと
言わない心の奥底から考えていることが
天体に届いているというよりも
既に天体が記憶し知っているからだと思っているからです。
書く必要がそもそもないのです。

だからわたしは
願いを書こう書こうと言っている論は
現代にあわせた人間的視点であり
魂の欲していることというのは書くことではなく
身体がすでに記憶をして知っていることだと思っています。
なので基本的には願いを書くだけではなく言う必要もないと思っています。
天体は既にそれを知っているからです。

ホロスコープというのは
とにかく調べれば調べるほど
ああ、この自分でよかったんだと
納得や確信がよりでてくるものだと思います。
ホロスコープを見て失望することも
もちろん多々あるでしょう。

外側の環境に不安になる
減少や不遇に振り回される、嘆く
というのは経験を積めば解消されるというよりも
もともと「所有している」その「視点の違い」
なのではないでしょうか。

ホロスコープで自分のことが分かり出してきた人が
多くなってきている中で
そこに嘘をつく必要ももうないと思うのです。

同じ方向の視点の人は必ずいて
「ほんとにそう!」と相手が言っていることに対し
同感(共感ではなく同感です)できる人って
どんなに変人でもどこかに必ずいるものです。
(変人=天王星が強いひと。意外にもいっぱいいる)

天王星視点ならば内側に在る土星の視点には
まず焦点が合わないのです。
土星がなんかやってるなという感じにしか見えないのと
天王星ならば敢えて土星視点に合わせないでしょう。

そして土星視点が減った、不安だ
この先どうしよう、なんでわたしばっかり

という不遇の視点の間にも

天王星視点だと
これからこれを勉強したいからこうしてみよう
必ずあの国には一度いこう

とそんな風に
真逆の時間の創造で進んでいるということを

理解していただくと
視点の違いでどれだけ創造が異なるか?
その進みかたや道の分かれというのも
分かりやすいかなと思います。

天王星視点の人が土星視点の人に合わせることは
おそらく不可能だし
土星視点の人は天王星視点の言っている感覚が
よく分からず、それが分離や終焉などになっていくのだと
思いますが、そのほうが道はきちんと合っていると
私は思っています。90度が示すままだからです。

そして過去に戻らずに未来へ勇気をもって
新しい方向へ進むといいでしょう。
「進んで変わる」を繰り返していくことだと思います。

まだまだ1~2年は視点の違いによる分離は幾度ともなく
起こりえるでしょう。時間が進めば進むほど
個を生きるようになるからです。
変化は進みにおいて最も大事であって
大きければ大きい変化のほうが新しく進むのです。

時間は進んでいるのだから
人にあわせず、社会にあわせず
あなたが残り時間の中で進みたい視点にあわせ
進んでいくといいと思います。

変わりたい人はこの大きな変化で
この1年~2年の90度だらけの変化の中で
非常に大きな変わりをみせていくと
思います。
その変わりを現象としてみることもできるし

変わりの自覚もできるようになるでしょう。

みずがめ座というのは
あなたとわたしではなく

あなたはあなた。
わたしはわたし。

そこに嘘をつかないことです。

個を尊重するとは
みずがめ座のこの感情ではない視点があるから
できることではないでしょうか。

>西洋占星術 基礎総合講座 全6回

西洋占星術 基礎総合講座 全6回

西洋占星術の基礎知識である 星座(サイン)、ハウス、天体 角度(アスペクト)の意味を総合的に 学んでいく少人数制のレッスンです。